まつりの真っ最中にも、会議

本部直営の飲料部も活躍!

30回の記念と銘打った本年は、「継続することが力である」であるということは証明できたが、30回の記念性が表現できたかの批判には辛い点数をつけなければならないであろう。企画と運営の方針から振り返ってみよう。
 第1回目の全体会議では、「ここ数年マンネリ」という声をうけ、原点に立ちかえるということを基本方針とし、「全てが1から始まる」という考えを打ち出した。そして、まずは過去にとらわれず、企画を考えてみようということになった。同時にテーマの討議も進められ、原点回帰ということで「手づくり輪づくり都市づくり」を採りあげた。継続と新鮮さを打ち出すため、サブタイトルを「〜20世紀からうけつぎました〜」に決定した。
テーマが決まると、今までにないようなゾーンニングと運営を図るという下に、「手のゾーン」「輪のゾーン」「都市のゾーン」と3つに区分し、それぞれのゾーンが財政も自主的に成り立つようにと定めたのである。
 ところで、イベントにはプロデューサーがいる。中之島まつりの場合は実行委員会全体である。もっと極端に言えば、見るまつりではなくつくるまつりを、と言ってきたのだから、当日来た人もプロデューサーである。が、主催の責任と言うことを考えれば、中枢部に関わった者たちが第一のプロデューサーということになる。
 まつりの中枢に関わる者達にはおよそ3つのタイプがあるように思われる。
@『プレイヤー型』…当日来た人達と共に動き回り、楽しもうというタイプ
A『クリエイター型』…手づくりの精神を自らで表現し、何かを創作・制作しようというタイプ
B『コーディネーター型』…参加してくる団体グループや個人をうまく調整して企画を実現するというタイプであり、同時にプロデューサーでもある。
 奇しくも、今回はゾーンの性格として「手」はプレイヤー型、「輪」はクリエーター型、「都市」はコーディネーター型となった。もっともこれは結果的にであって、当初はその性格がはっきりしていないものもあった。また各ゾーンとも、3つの要素を取り入れると同時に食堂機能も必要であるため、複合的となる。そうでなければ、ゾーンの自主性は成り立たない。
スタッフの配置も自主的に行われ、過去に例のない「18才の最年少事務局長」に象徴されるように、ゾーン長や印刷物(当日パンフやまつりのプロフィール)に関しても新しい血が湧きあがってきた。
 このように振り返ってみると、第30回の中之島まつりは、原点に立ち返って、すべてを1から考え直すという良い機会になったのである。
しかし、まつりの総括ということになると、反省すべき点がある 。それは、3つのタイプでいえば、『コーディネーター型』が各ゾーンでも事務局でも不足していたことである。その原因がどこにあったかというと、『ディレクターの不在』であった。ゾーンの自主性が強調された結果、全体的に企画〜財政にわたりまとまりに欠けていたようである。ディレクターとは文字通り方向性を指示するのが役割であり、本来は実行委員長及び事務局長が担当すべきであるが、その実行委員長にディレクター性が欠けていた。15年ぶりの実行委員長への復帰は、ある面では浦島太郎のように面食らうことが多く(これは、それだけまつりの運営や企画に慣れた者が大勢育っていたということでもあるが)、先頭に立って方向性を示すのではなく、みこしに乗っていればと甘く考えすぎていたことによる。実行委員長の総括としては、これに尽きる。
来年も第31回の中之島まつりを迎えるのであるが、そろそろ世代ごとの役割を考えるべきであろう。私も今年で58才。60代、70代になっても中之島まつりの一員であり続けたいと考えているが、年とった者の参加方法を考えていきたい。
■実行委員長 森 一貫■

今年のまつりは始めから最後まで、わからないことだらけの日々でした。去年、まつりの最終日の午後から来て、運営と撤収を少し手伝っただけ。まつり自体について何も知らない、わからない、その上社会経験が全くない。そんな私が事務局長をしたことで、周囲にはすごく多くの迷惑や心配をかけてしまいました。
初めは「何とかなるかな?」などと、私自身甘く見ていたところがあったと思います。2月からまつり事務所での専従が始まり、ただ慌ただしく毎日が過ぎ、あっという間に当日を迎えました。それまで何度となくまつりから逃げ出したいと思い、泣き続けた時期もありました。でも「逃げるのだけは嫌」という負けず嫌いな性格と、そんな私を心配し、支え、一緒に努力してくれた皆のおかげで、なんとか事務局長をやり遂げることができました。正直「私が事務局長でよかったのかな?」と今でも思います。私でなければ、皆の負担ももっと減っていただろうし、事務局ももっとうまくまわっていたのでは、とも思い、自分の幼さと実力不足にただ情けなくなるばかりです。
でも、私にとっては、すごく勉強になった数ヶ月でした。色々なことを学び、覚え、実行し、普通できないことをたくさん経験したと思います。そのの中で色々なことを考え、また、悩み、周りの方々に叱られたりしながら、1人の人間としても成長できたのではないかと思います。
事務局の仕事については、
行政交渉少し遅れが目立ちましたが、特に問題なく処理できました。
財政不況の波を受けながらもギリギリまで努力し、当初の目標こそ達成できませんでしたが、納得できる結果を残せたと思います。
会計私自身の経験不足から、困惑することも多々あり、収支報告が遅れたりもしましたが、最終的にはきちんとまとめることができました。
庶務事務局長自身が専従だったために、外回りで常に事務所にいることができず、連絡の行き違いがあったり、問題点が多かったと思います。
広報事務局員が少なかったこと、まつり自体を説明しにくいということから、昨年掲載していただいたところ以外へのアプローチが難しく、もっと努力していかなければと思いました。
STAFF募集大学等への勧誘は、皆の努力のおかげでなかなかの結果が出たと思います。しかし全体的にはSTAFF不足で、もっと色々なところに呼びかけ、STAFFを増やす努力をしなければならないと思いました。
資材企画局に頼りすぎた面があったと反省しています。
全体的には、人の少なさ、動きの悪さが目立っていたと思います。
事務局・企画ともに11月頃には立ち上がっていたにもかかわらず、当日ギリギリまで中心メンバー以外の動きが薄く、そこも問題のひとつだったと思います。また今年はゾーン1つ1つが大きかったため、各ゾーン長・ゾーン員の負担は大変なものだったと思います。
だからこそ、もっと企画に対しての配慮が出来ていればよかったのにと後悔しています。
でも、なんとか第30回の中之島まつりを無事終えることができ、本当に皆よくやってくれたと感謝しています。誰か1人でも欠けていたら、まつりは出来ていなかったと思います。今年の反省点を生かし、さらによいまつりづくりができればと思います。本当に皆様お疲れ様でした。
■事務局長 勢古 樹理■