直営ばくばくバザー ばくばくバザーに寄せて |
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1998年11月のある日、私は30歳にしてバザー長をやることになりました。ここ2〜3
年、直営バザーは1店舗で運営していましたが、まつりの運営資金難および人材難を克服
すべく、3店舗で運営することを課題として課せられました。 12月、店長に立つ人間さえ満足に見つからない状態で、「はたして、3店舗出来るのだろうか? 3店舗でやる意味があるのだろうか?」と疑問に思うこともあったが、何とか動き出しました。 何はともあれ、スタッフを集めなければと基本方針として打ち出したのが「お客の集まる店舗=スタッフの集まるお店」。そして、「三都物語」をテーマとして店舗案が出されました。 しかし、気ばかり焦るものの遅々として進まない、三店舗の足並みがそろわない。苦悩の日は続きました。そんな中で徐々にスタッフが増えてきて、だんだんとまつりが近づいてきました。やがて段々と不安が消えていき、まつりの1週間前には「多分、3店舗と もうまくいくだろう。」と根拠もなく考えていました。まあ、恐らく各店舗のスタッフがしっかりしていたため感じたのだと思います。 そんなこんなで当日を迎え、数々の小さな問題点はあったものの、大きな事故もなく、1日雨が降ったとはいえ、3店舗で300万円の売上を達成することが出来ました。 これもひとえにまつり当日手伝ってくれたスタッフおよびお買い上げ下さった方々のお陰 だと感謝しております。 雨が降った1日もスタッフ同士の交流を深めることも出来ましたし、おおむね直営バザーという企画は成功だったのではないかと手前味噌ながら感じておる次第であります。 来年、第29回中之島まつりでは今回培った人のつながりを大事にして、更に拡がりのある企画となることを期待しています。 以上で私のバザー長としての反省文とさせていただきたいと思います。 バザー長 山田 憲康 私が中之島まつりに参加するきっかけとなったのは、大学内での勧誘だった。初めて参加した時は、驚きの連続だった。まず驚いたのは年齢層の広さ。そして何から何まで自分達でする、ということ。 とは言っても、私が手伝ったのはほんの一部分だけだっ たけど。それでもとても充実した気分になっていた。毎回行くのが楽しくて仕方なかった。 ここの雰囲気は、私にはとても心地よかった。何より友達がたくさんできたことがうれしかった。 もっと早くにこの中之島まつりを知ることができていればよかった、とさえ思う。 私の家が奈良にある、と言うこともあって、すべてに参加していくってことはなかなか難 しいけれど、これから先、できるだけ多くの行事に関わっていきたいと思っている。 夢都 店員 重松涼子 |